野菜ソムリエ 藤田が行く!

吉田清作 さん

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東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で避難区域が設定された田村市都路町東部地域。平成26年4月に避難指示区域が解除されましたが、この4年余りで蓄積された問題は数多くあります。
 
原発から20キロメートルの線引きで同じ地区が二つに分断されるなど、地域内でも大きな影響のあった田村市都路町の農業・林業・畜産・加工業に焦点を当て、その現状と苦悩、将来への展望についてシリーズでお届けします。

 
その1 ふくしま中央森林組合 都路事業所所長 青木博之さん    (2015年3月10日公開)
その2 田村市都路町 稲作農家 吉田清作さん           (2015年3月11日公開)
その3-1 株式会社ハム工房都路 取締役・工場長 高橋典一さん   (2015年3月12日公開)
その3-2 株式会社ハム工房都路 取締役・工場長 高橋典一さん   (2015年3月13日公開)
 
 
第2回は 都路町の農業です。今年3年ぶりに水稲の作付けを再開した、吉田清作さんにお話を伺いました。

“営農再開、はいどうぞ”では無理

都路町は20キロメートルの線引きで地区が分断されたと前述しましたが、吉田さんの自宅はまさにその線引きのごく近く。20キロメートル“圏内”に入りました。
「…一年戻れなかった。」
吉田さんの言葉は文字にすればほんの一行ですが、家族とともに暮らしていた自宅に突然一年以上も戻ることができなかったその苦悩、様々な想いがその一言に込められています。
 
そのような中でも吉田さんは、同地区の農家の皆さんや行政の方々と共に営農の再開に向けて取組みを進めてきました。
 
震災翌年の平成24年度に農地の除染と試験田での実証試験を開始。
手探りながらも細心の注意と対策を実施した試験栽培によって、安全なお米の生産が可能なことを実証することによって、同地区における翌平成25年度の水稲作付け再開が決定しました。
吉田さんは自宅の避難指示区域解除に合わせ、今年度から作付けを再開しました。実に4年ぶりのことです。
 
その再開までの過程は困難の連続でした。

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「震災当初、国が考えていた農地除染は、農地の天地返し・深耕が基本でした。しかしそれでは、耕盤(水田の地下20cmほどにある硬い土の層)が破壊され田んぼの水持ちが悪くなったり、石が露出したりと営農上大変な問題が起きるのではないかと、私たち農家は懸念していました。」
と吉田さん。
 
「そういった私達農家の懸念を多くの人や関係者に理解してもらうために、地元の行政の協力のもと国の責任者の方に実際に現場を見てもらいました。そして田村市でも協議会を結成して現場の意見を集約し活発に議論を始めたこと。そのような動きができた事から物事がスピーディーに進むようになったと思います。
そして、代(しろ)かき事業や畦塗り事業などの営農現場から挙がった現実的な対応策が、国による除染事業として認められたのです。」
 
国や自治体による事業計画やガイドラインの速やかな設定は当然必要なことです。そしてそれは地域の特性や現状に即した状態をそれぞれに反映したものでなければなりません。
そのためには国や自治体が対象地域から意見や要望を吸い上げることが求められます。
しかし当事者側も求めているだけでは、よりきめ細やかな対応を受けるには至りません。営農者も自分たちで組織を結成するなどして意見を集約する場を創り、両者が地域の状態や要望を整理し、現実的な対応策をともに作っていく必要があるといえるでしょう。
 
このあたりの経緯をもっと整理して良かった点・改善できる点などを明確にしておくことは、規模の大小にかかわらず、今後起きるかもしれない同様の問題に対する大きな知見になるでしょう。
 
「“営農再開、はいどうぞ”では無理。」
この吉田さんの一言の重み。営農再開に向けて様々な人々が協力していく事の大切さは、もっと共有されなければならないと感じました。

喰えないのなら捕獲しても仕方がない

震災前の吉田さんの作付面積は6ヘクタールほど。今年度の再開に際して、まずは2.2ヘクタールから再スタートしました。
とはいえ2010年度には60戸以上あった稲作農家のうち、今年作付けしているのは8戸のみ。
その数字の裏には住民の帰還が進んでいないこともありますが、吉田さんは現状について、いままで連綿と続いてきた地域のサイクルが回らなくなってしまった事を指摘しました。
 
「最近、イノシシによる被害が激増しています。この辺りでは震災前まで年間5頭ほど捕獲すれば何とかなっていたところが、今は40頭も捕獲しています。それでも被害は減りません。
しばらく帰還できない間に増えたという事もありますが、猟友会の人たちの“獲っても放射性物質の問題から(イノシシを)喰えない。だったら撃っても仕方がない”という意欲の減退もあり、捕獲がより困難になっています。
田んぼに電気柵を設けて対策を打ってはいますが、金銭的な補助があるとはいえ労力がかかります。」

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対イノシシ用の電気柵

そこには前回の農林組合都路事務所でのお話どおり、林業の本格再開のめどが立たない中、森林の整備が滞っていることも指摘されていました。
 
「また、この地域の大規模養鶏場も鶏卵生産の副産物として鶏糞を農業用肥料として加工していました。それは高品質な鶏糞肥料として農家の評価も高かったのですが、放射性物質の問題で農業資材への加工も難しくなっています。」
 
このように、単に稲作の再開を目指せばゴールという事ではなく、失われてしまった地域の循環構造をどのように手当てしていくのかが、地域に重くのしかかる課題なのです。
 
そういった状況を受けて、後継者問題を中心とした今後の営農継続の道筋は険しいものとなっています。
 
「この3年余りで多くの農家の気力が失われています。事実“草刈りなどは自分たちでやるから後は(がんばれる人達に)任せる”といった依頼が数多くあります。
他にも、震災前にあった機材は放射性物質が付着しており、生産物にも付着している可能性もあることから、私の所ではコンバインや乾燥機、もみすり機などを買い換えました。
いくら賠償による金銭的補償があるとはいえ、将来の見通しが立たない状況でそれだけの機械設備への投資に踏み切れるか否かということもあります。」
 
吉田さんの経営においても、娘婿が農繁期に手伝いをするなど、将来への展望を描きつつある中での震災発生でした。
原発事故によって新築したばかりの家への帰還もままならず、断腸の思いで娘婿夫婦が他地域に居を移さざるを得ないといった事態が起きてしまいました。
 
それでも吉田さんは都路町の農業を諦めてはいません。
 
「そこまでして農業を続けるのかという意見はありますが、どのみち除染するのであれば、それとともに効率的な農業を出来るように基盤整備することが大事だと思います。
こうなってしまった以上、今まで問題だと思っていたことを、不便だったことを解消する絶好のチャンスにするしかない。」
 
「そしてこれからの絵が描けない状況の中、農業を続ける“動機づけ”が必要だと思っています。この地区に合った何かをやりたい。
そう言った中で今考えているのが、小麦の生産です。都路地区では昔から祭事の際に“うどん”を振る舞う習慣がありました。
そのうどんに使う小麦を都路産の小麦にする。都路だけでも地産地消ができるという事を示したい。」
と吉田さん。
 
「発想が古めかしいかもしれないけど」と吉田さんは微笑みましたが、実際にその動きには農家ではない一般の生活者の皆さんからも協力の声が上がるなど、少しずつ地域の動きとなりつつあるそうです。
そこには、この地域の復興のシンボルが何かあればという想いがあるのかもしれません。そういった目標というものがこの困難な時期にいかに大切かを感じました。

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ようやく復興のスタートラインについたばかりの都路町の農業。自立するその日まで、しっかりと支え、見届けたいと思いました。

 

 
次回、株式会社ハム工房都路 取締役・工場長 高橋典一さん は3月12日にお届けいたします。


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